五号目録をお送りします。和歌が主体となりますが、そのほか貴族の生活や文化の一班を垣間見られるような編成を心がけました。
編集を進めながら、日本は古来いかに多くの精力を歌に費やしてきたか、今更ながらに感じ入りました。そのエネルギーの総体たるや、仏教に傾注されたそれにも劣らないでしょう。歴史を通じて日本人は、国力の多くを田作りと来世への祈りと、この歌作りに注いできたわけです。なかなかに興味が尽きません。
「初めにことばがあった」で始まるヨハネの福音書の例を挙げるまでもなく、言葉がもつ創造し破壊する力に畏れを抱くのは、人類共通の思いでしょう。和歌といえば、とかく言霊論が持ち出されがちですが、言霊論のみでは、歌がこの国に及ぼした影響の特異性を掬い切れないように思うのですが、いかがでしょう。
「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士の心をもなぐさむるは歌なり」と古今集の仮名序で歌の効用をいくつも挙げておりますが、万葉歌の劈頭に置かれた雄略天皇の歌がそうであるように、歌とは先ずもって恋の歌でした。もっとも雄略歌の場合、土地の娘との聖婚は、やまと国の領土を拡大するという含意があるでしょうし、第二歌として国土の安寧を祈る国見が続くのも、天皇支配を言祝ぐ万葉編者の意図があるのでしょうが、男女の心を取り持つことが歌の第一義であることに変わりはありません。貫之の言う通り、人の心を種として生まれるのが歌ですから、歌こそが相手の心を知る最も有効な方法なのです。
 周知のように、平安時代には公卿の娘の代作を多くの女房たちが行っています。貴族との恋歌を残した女房こそが貴族文化の下支えをしてきました。では、武士の台頭以後はどうだったでしょうか。平忠度のように一命を賭して勅撰集に名を残そうとした武士もいますが、女流歌人を澎湃と生み出す土壌はついに蘇ることなく、貴族文化は先細っていったように思います。
 ただ、古来歌作りを通して培ってきた、人の心を読み取る能力は、コロナ禍に苦しむ現在だからこそ、活かせる道があるのではないでしょうか。人それぞれ考えることが違うからこそ、相手の心を推し量る能力が高められたのです。違いに気づき、多様性を受け入れるところから、共生の道が始まるのだと思います。

  令和三年十一月上浣                   臥遊堂 野村竜夫拝