六号目録をお送りします。
 秋に入り、足掛け二年続いたコロナ禍が少し落ち着きを見せてまいりましたが、海外では再び罹患者が急増し始めております。
この夏、未だコロナの勢いが収まらない中、半世紀ぶりに東京でオリンピックが開催されました。賛否入り乱れての議論百出。ワクチンに対する基本姿勢の違いも複雑に絡み合い、分断された世論は埋まらないまま、五輪の聖火は次期開催国へと旅立ちました。我が国は、和をもって貴しとなすのが国柄である一方、異分子を排除する非寛容が習いでもあるのです。
日本人の大半は風呂を好みます。海に囲まれた島国で、雨が多く、高温多湿などの諸条件が重なった結果であろうことは、想像に難くありませんが、風土の影響は風呂好きのみならず、精神性にも深く関わっているのです。
六月の晦日に各神社では大祓が行われます。新年から溜まった罪や穢れを祓い清める神事です。因みに、清めるとは水垢離や手洗、漱口など自ら行う所作であるのに対して、祓いはその筋の専門家から受けるという違いがあるそうです。
大祓の祝詞の一部を引きましょう。「祓へ給ひ清め給ふ事を…速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ」とあり、その後、罪と穢れは荒海に飲み込まれ、黄泉の国に吹き流され、そこで消え果てるとのこと。
六月の大祓を体験した人は多くないかも知れませんが、神社に行けば手を洗う、水垢離はしなくても毎日のように湯ぶねに浸かる。こうした習慣は、西洋にも中国にもありません。ユダヤ教徒やインド人は沐浴を行いますが、毎日ではありません。他国に比し、マスクや手洗いを心掛けるのも、こうした日本人の性情に起因する部分が多いのです。しかしながら、きれい好きも度を越すと潔癖症に陥るように、ルールを守らない者には目くじらを立ててしまいがち。島国で同族意識が高いだけに、僅かな違いが許せなくなるのです。内に対しては和を求め、部外者は団結して除け者にするのが日本人の特性なのです。
習慣は言語化されない行動ゆえに根が深いわけです。自分の立ち位置を意識化し、相手の内在的論理を知る努力が、真なる和へ至る第一歩です。幾星霜を閲して読み継がれた書物こそは、自らを映す鑑となりましょう。そうした書物を提供できればと冀う次第です。

  令和三年十一月上浣                   臥遊堂 野村竜夫拝